新島八重とは

1845年会津藩砲術指南・山本権八の三女として生まれる。幼少から非常に活発で、兄から洋式砲術の操作法を学んだ八重は、激動の会津戦争の中「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれるほどの活躍で注目を集めます。
会津藩が官軍に敗れると、最初の夫と離婚し、京都で米国帰りの同志社大学創立者の新島襄と知り合い再婚。男女平等を望み、レディーファーストを貫く姿を、襄は「ハンサムウーマン」と評しました。
襄の死後も、日本赤十字社に入り日清・日露戦争で篤志看護婦として活動。幕末・明治の激動の時代を波瀾万丈に生き抜いた女性です。その生きざまは現代に通じる、まさに時代を先取りした女性像です。
2013年度の大河ドラマ「八重の桜」
2013年の大河ドラマは「八重の桜」。新島襄の妻・八重の生涯を描きます。主人公・新島八重を綾瀬はるかさんが演じます。
山本八重(後の新島八重)は会津藩の砲術師範であった山本権八・佐久夫妻の子として生まれました。
戊辰戦争時には断髪し、男装してスペンサー銃で参戦。会津・鶴ヶ城籠城戦で奮戦した。その姿から後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれます。戊辰戦争が始まる前に但馬出石藩出身で藩校日新館の教授をつとめていた川ア尚之助と結婚しましたが、籠城戦後別れます。明治維新の後、兄・山本覚馬を頼って上洛。そこで、新島襄と出会い結婚します。女は男に従うことが当然とされた時代、八重は周囲からは勝手気ままに見られ、「天下の悪妻」とも言われました。晩年は日清戦争、日露戦争に篤志看護婦として参加しました。その功績により昭和年(1928年)、昭和天皇の即位大礼の際に銀杯を下賜されます。その4年後、87年の生涯を終えました。
- (2013/09/30)八重の桜-第39回「私たちの子ども」を更新しました
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- (2013/09/30)八重の桜-第35回「襄のプロポーズ」を更新しました
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